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FujiiTomohiro Photography Diary

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曽根陽一さん

9月5日、写真家の曽根陽一さんが亡くなりました。61歳でした。

曽根さんは、私にとって恩人であり、師匠といえる人でした。

1990年代前半のこと。
当時私は現像所に勤めていて、休みの日に作品を撮っていました。
ある日、書店で月刊カメラマン誌を手にすると、そこには「新人カメラマン持ち込み募集」の文字。
編集部に電話をして、持ち込みの日にうかがうと、そこにいたのは曽根さんでした。

「持ち込み」といっても、雰囲気はまるゼミのよう。
持ち込みに来た人みんなで他の人の写真を見て、みんなで曽根さんのアドバイスを聞いていました。
私の作品を見て、「次はもっとこうしてごらん」とアドバイスされると、翌月までにまた写真を撮って持ち込みに行き、曽根さんにまた写真を見てもらう、ということが続きました。
そしてついに月刊カメラマンに作品を掲載してもらうこともできました。

あるとき、また写真を見せに行くと、「ここまで撮れるようになったんだから、写真展をやってごらん。君の写真は、コニカプラザに向いていると思うな」と言われ、新宿のコニカプラザ(現コニカミノルタプラザ)に応募してみると、見事に審査を通過。
私の初めての写真展「PEOPLE」を開催しました。1996年のことです。
そしてこの写真展を機会にフリー写真家になりました。

フリーになると、持ち込んでいた月刊カメラマンから「それならウチでやってみる?」と声をかけていただき、今に続くカメラ誌での仕事が始まり、様々なお仕事をいただけるようになりました。

月刊カメラマンの持ち込みに通っている頃、曽根さんは持ち込みに来た人たちを前に、
「みんながプロになってくれたら、俺は嬉しいよ」
と声をかけてくれました。
いつも真剣に写真を見てくれていた曽根さんに喜んでもらいたい。
その気持ちでフリー写真家になりました。
写真展の会場に笑顔で現れて、「おめでとう」と赤ワインをいただいたのは、今も鮮明に覚えています。

フリーになってからも、曽根さんとはお酒をご一緒したり、ときにはカメラ誌で仕事をご一緒したり、道端でバッタリ、なんてこともありました。
曽根さんが作った写真同人誌「DRUG(ドルーク)」にも私の作品を掲載していただきました。

2012年12月、曽根さんは脳幹出血で倒れました。
奥様が献身的に看病をされていましたが、再びカメラを手にすることなく旅立ちました。

曽根さんと出会わなければ、今の自分はありませんでした。
だから曽根さんは恩人であり、師匠でもあります。

曽根さんのことは一生忘れません。

曽根陽一さん_c0030685_191109.jpg

by fujiitomohiro | 2014-09-06 19:01 | 日常 Daily
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フォトグラファー、藤井智弘。「近所から海外まで」街を歩いて写真を撮っています。(公社)日本写真家協会(JPS)会員。お仕事のご依頼はホームページのフォーム、またはTwitter、InstagramのDMからお願いいたします。


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